(続き)
(3)誤解③
「ライトは無千年王国説なので、世界はだんだん良くなっていき、患難は過去のものという理解に立っている」
ライトの「開始された終末論」( inaugurated eschatology)と無千年説の古典的進歩主義を混同すると、このように誤解します。彼はむしろ、世界が自動的に改善して神の国になるという思想を明確に批判しています。
2020年のMichael Green Memorial Lectureでは、19世紀的なリベラル神学の考え(W・ラウシェンブッシュ)、「世界は徐々に進歩し、福音的な未来へ向かって進んでいる」という立場を紹介した上で、それを批判しています。ですから、「古典的無千年王国説」をそのままライトに当てはめることはできません。20世紀の戦争・暴力・近代技術による惨禍を指摘し、そうした「進歩の福音」をキリスト教の終末論と混同してはならないとしています。
興味深いことに、ライトも参加したLogos主催の
「千年王国説での五つの見方(Five Views on the Millennium)」では、
1 患難前千年王国説
2 患難後千年王国説
3 無千年王国説
4 後千年王国説・過去主義
と別枠で
5 新しい天、新しい地による終末論(ライト)
を設けています。古典的無千年王国説や過去主義(完全成就説)として誤解されては困るからでしょう。
ライトの終末論は、復活・新創造・天と地の結合を中心に置く独自の枠組みと理解した方が正確です。
「無千年王国説」の現代版ではありません。
すなわち、
すでにイエスは復活した。神の国は開始した。新創造は始まった。キリストは王として即位している。
しかし
いまだ死は存在する、悪は活動している、教会は苦しむ、世界はまだ完全には贖われていない、最終審判は未来であり、身体の復活は未来、新天新地の完成も未来、です。
また教会についても、現在は単純な勝利の時代ではなく、「絶えざる警戒と霊的戦い」を必要とし、苦難への備えが必要であると語っています。
患難はあります。しかし、ディスペンセーション主義的な7年間の患難期という概念を採用しないだけです。
ですから、
世界が悪化しているのだから→ライトの終末論は間違っている
という見通しで結論づけるのはかなりの単純化です。
また無千年王国説に立つ、この世界での人間による神の国の実現でもありません。
「この世界に(人の手で)神の国を作ることが大切」という理解は、はライトが非常に慎重に避けている言い方です。
ライト自身は明確に、
“We do not build the kingdom of God by our own efforts. Rather, we build for the kingdom.”
つまり、
「私たちが神の国を建設するのではない。神の国のために働く」と区別しています。
神が最終的に新創造を完成されるのであって、人間の社会運動や教会活動が累積して神の国になる、という思想ではありません。現在の正義・和解・宣教は、未来の神による神の国の完成を「先取りするしるし」です。
この違いはかなり重要です。
(4)誤解④
「ライトは天国を否定している」
「死後に、天国へ行かない」とライトが主張しているという理解は不正確です。ライトが否定しているのは、「死後に天国へ行くことがキリスト教救済の最終目的である」という考え方です。
死んでから復活までの中間状態を否定していません。
ライト自身は、「もしそう呼びたいなら、この中間状態を天国と言ってもよい」、つまり、死から復活までの中間状態を「天(天国)」と呼んでもよいと明言しています。
そしてフィリピ1章23節の「キリストと共にいる」、ルカ23章43節の「パラダイス」を、その文脈で理解します。
ライトの死後の構造は、
死 → キリストと共にある中間状態(天国・天/パラダイス)→ 将来の身体的復活 → 新天新地
であるのです。したがって「ライトは天国を否定する」は不正確であり、「天国を究極の目的としない」とするのが正確です。
以上、4つの誤解されがちな主要な点を取り上げました。これらに関連していろいろ発展してライト理解が歪む可能性があります。
終末論でどのような立場に立つかはその人の選択で、尊重されるべきですし、あらゆる神学者は完全ではないでしょうが、もし誤解しているとしたら、その上で成り立つ批判による損失のほうが大きいと思います。
必要なら、時期を見てまた〈続き〉を公開したいと思います。
文責:小渕春夫(あめんどう代表)
